あとがき

この四コマに起こしたエピソードは、元々はダブワンLv0に含める予定のGEARでした。
しかしメッセージを伝えるための表現が抽象的であり、ストレートに物語の内容を
噛み砕けない内容であると判断したことから、お蔵入りとなりました。

僕の作風は物語の裏面に、表面上と異なる意味を潜めるものと思っています。
それゆえ処女作では、読み手の方に段階を踏んだ読解を求める結果となりました。

裏の意味を潜めるのが僕の作風。
だけど表面だけを見ても、魅力的に映る作品こそが理想的です。
本当に、絶え間ない修行が必要です。ダブワンもその点、試行錯誤で制作しているのですが
このエピソードは、中でもその理想と掛け離れていたというのが、僕の客観的評価です。

極めて、単純に。
トト達のちょっとしたやり取りや不幸屋さんというなんかヘンクツな人(笑)のことを
お見せすることで、ダブワンをプレイして下さった方々にちょっとした+αな感情を
お届けする事が出来ていれば、四コマにして表出させた時間が報われます。
ですがこのエピソードに篭めたメッセージや、想いみたいなものもまた、
あとがきという形で補足的にお伝えする試みを行ってみようと思います。

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ぼくらはみんな、線を伸ばしている。
伸ばし終えたときの景色に、「幸福」か「不幸」があるのかもしれない。


「こんな事ばかり起こるなんて! 自分は、不幸だ〜〜!!」
「こんな事ばかり起こるなんて! 自分は、なんて幸福なんだ!!」

皆さんは、そんな事を思った経験はありますか?
…僕はあります(笑)

幸福と不幸の定義は曖昧で、日常でもよく用いられます。
悲しいことが始まると、人は自分を「不幸な人間」と判断しがち。
逆に嬉しいことが始まると、自分が幸福な立場にいるものと
考えることもあると思います。

このような発想は、不幸屋さんの用いた不幸にまつわる方法論に通じます。
特にトトに対し「グラフ」を示したことが、彼女の思考をよく表わしていますね。
彼女の思考は、どれも一次元的。言うなれば「平面的」なのです。

「平面的」な思考は、膨大な情報が降り注ぐ我々の日々に利益をもたらします。
たとえば駅構内の地べたに、顔の赤いサラリーマン風の男性が気持ち良さそうに寝ていたら?
私達は彼の身の上を知らずとも、彼を「ヨッパライ」と認識することが出来ます。
ある若者が学生服を着て歩いていたら? 彼は「学生」です。
仮に消防服を着ていたら? 我々は彼を「消防士」と認識するのです。

思考の効率化が望める方法が、物事を「平面的」に眺めることなのでしょう。
そのようにして我々は、世界に無数に眠る“財宝”…「有益な情報」を、より多く得ようとします。
仕事における効果的対処法。家庭事情。安売り情報。学業。新作ゲーム情報。好きなあの子のスリーサイズ(笑)
“財宝”の中身は、変幻自在。関心を持つ人それぞれが価値を判断する“宝”です。

平面的に不幸と幸福について語った不幸屋さんは、
トトに「位置」の指摘を受けることで、自分の思想に僅かな疑問が生じました。
アグニムさんを見上げる景色。使い魔のアギに似た鳥さん達に囲まれた景色を、
「位置」を意識して傍観してみたら、なんだか、ちょっと悪くもないなと思ってしまった(笑)

「平面的」思考は日々を生きる上で利益をもたらす思考方法ですが、
その使い方を誤ると逆に害をもたらしかねません。不幸屋さんの場合は、
アグニムさんに『一生勝てない現実』に思考を束縛され、彼女自身の持つ
素敵な唯一性……『魅力』から、目を背けさせてしまっていた。

このエピソードに篭められたメッセージは、そこに集約されています。
もしも貴方が平面的思考をもち、貴方自身の『勝てない現実』に束縛されていたら、
是非一度、例のトトグラフ(笑)で自分を計り直してみてほしいって思うんです。

人間は立体的物体である

“面”を組み合わせることで、その物質は『立体』と認識されます。
ならば“出自”“体格”“運動能力”“学習能力”“作業能力”人間性”“経歴”等々…
様々な“面”を組み合わせた『立体的物体』…それが『人間』と考えてみるのも
面白いんじゃないかと思います。

「人を不幸にする能力」という“面”において、彼女は勝てない現実を持っています。
トトはその“面”において、不幸屋さんとアグニムさんに、ずうっと勝てないと
見込まれました。僕の場合、たとえば「より多くの人間の心を躍らせる音楽を作る」
という勝負においては、素晴らしい技術・経験・センスを持つ相方のラック眼力に
もはや勝てる日は永遠に来ないでしょう。

断定は出来ませんが、そんな風に誰でも「勝てない現実」を持っているのかもしれません。
そしてその「勝てない現実」に対峙して、打ち拉がれている人が、今もしも居るとしたら、
一度『立体的な自己評価をしてみて欲しい』と思うんです。平面的な自分に捕らわれる事
なく、もっと立体的に、自分を見てみて欲しいんです。

導き出された道が進路であっても、退路であっても。
もしかしたら、これから踏み出す「一歩」が、ほんの少し軽くなるかもしれません。
もしも軽くなったのならば、このエピソードに篭めたメッセージが報われます(笑)

不幸と幸福は、魂にもたらす“解答”

このエピソードでは、私(貴方)が幸福か不幸であるかは
「終わるときに認知できるかもしれない」ことを投げかけています。
それは『私は不幸/幸福である』という命題に対する、我々の
知りうる、あるいは感じうる最も正確な“解答”です。

しかし、ここで疑問を抱くことがあると思います。新たな疑問です。

Q.厳密に、私が「幸福か不幸か」を知ることに、意味はあるのだろうか?

「線」は我々が活動を続ける限り、必ず“どれか”が伸び続けます。
我々が何かをしている限り、必ず伸び続けます。寝てても伸びます(その理由を説明すると、
すごく長くなるので省略します。どこかの機会で書ければいいなと思いつつ)
全てが止まることは活動を停止すること…つまり“死”を意味します。

幸福か不幸の解答は、死ぬ間際に見える風景に潜む。
ならば幸福か不幸かを知ることに、意味など果たしてあるのだろうか。

意味はあると思います。…ここからは宗教臭い話になるんですが(苦笑)
貴方の肉体が機能を停止しても、魂が継続して生き続けているからです。
貴方が死んでも、貴方の親しい人達の心の中に、貴方の魂は生き続けるからです。
かなり胡散臭いので(笑)現実的な状況に表わしてみます。

「そういえば、あのとき貴方がこんな事を言っていた。だから、ああしよう」
「そういえば、あのとき貴方はこんな失敗をしていた。だから、こうしよう」
「そういえば、あのとき貴方はこんな成功をしていた。だから、そうしよう」

どうして親しい人は、そう想うことが出来るのか。
平たく言えば、貴方の存在を脳が記憶しているからです。
掘り下げて言えば、貴方という実体が親しい人の脳裏に、
極めて具体的に『存在している』からでしょう。

貴方がただそこに存在していただけなら。ただ記憶されているだけなら、
生きた者を動かすことは難しいのです。貴方の起こした偉大な行動が。
言葉が。…魂が。生きる者の魂と共振するのです。そして生きる者は、
次に生きる者へと。次に生きる者は次に、次に…と継承されていくのです。

それが、人間という生き物に対する僕の基本的見解。
人間は魂を継承して文化を築き、研ぎ澄ましてきた。
僕の思想の根幹にある人間論です。

ここで、話を新たな疑問に戻しましょう。

Q.厳密に、私が「幸福か不幸か」を知ることに、意味はあるのだろうか?

意味はあると思うのです。
貴方が「幸福か不幸か」を正確に知ろうとすることは、
魂にもたらす解答を得るものだと僕は思うのです。

不幸か幸福であろうとすることは、“魂”の質量を増やす行動です。
“魂”の質を高めれば、死後もあらゆる事物に、良い(悪い)影響を及ぼしうる。
だから我々は、不幸か幸福の解答を目指し、行動すべきだと思うのです。
貴方自身が、貴方の納得する形で、永遠となるために。

解答にまつわる現在の行動

四コマの最後に示したとおり、我々は起こる悲しいことと嬉しいことを
真正面から受け止め、自然体の現在を過ごすことが理想と思います。

そのためには、時には問題を「立体的」に処理する必要もあるのでは
ないでしょうか。問題を「平面的」に捉え、苦悩している貴方は厳密に
言えば「不自然」な状態です。該当する問題に対し足りない能力に
落ち込んでいる貴方は、確実に別の魅力を持っているのですから。
その魅力を理解し活用していない状態は、不自然だと僕は思います。

決断を下すためには、苦悩することも重要です。

しかし最も重要なことは、決断を下した後のこと。
貴方の持つ個性を、魅力を、何らかの形で表出できる世界。
……『自然』が、貴方の前に訪れることなのです。

願わくばあなたが。素晴らしいあなたが、
いずれかは幸福を導き出せることを願ってます。

僕の『自然』は、作品における自己主張。
そうやって今自分の居る景色のことを伝えたり、
貴方の見る景色の話を、聞いたりすることなんだと思います。
僕にとってはそれが、とても居心地の良い『自然』です。

ですのでまた、景色のことを伝えさせてください。
機会があれば、貴方の景色のことも、教えて下さい!


2014年12月9日
ダブワンシナリオ担当のナカオボウシより

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